受験や就職など、その方の一生が左右されるものです。

陰ながら支える大いなる力によって、これから続く大きな飛躍の差をお感じになることと存じます。

井伊直虎の霊符


井伊美術館のページをご覧ください。

次郎法師(直虎とされる)直筆四神旗 中国古代の思想に端を発する四神は、東西南北四方の守護神として広く用いられ、朝廷での祭儀においても四神旗が掲げられた例がみられます。次郎法師(直虎とされる)は井伊家守護のため、本営の帷幄中にこの四神旗を備え置きました。北方の玄武に代わり、勾陳が配されています。

岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)

星神社
岩崎弥太郎が祈願した「星神社」

安芸市観光協会のページをご覧ください。

弥太郎が、安政元年(1854年)、江戸遊学に出かける際、妙見山に登り、星神社の社に「吾れ志を得ずんば、再び帰りてこの山に登らじ」という落書きをし、立身出世を祈願したとされます。霊符を持っていたかどうか?は不明ですが、妙見(別名:尊星王)に祈願をし、その後の成功が引き寄せられたと考えます。

坂本龍馬の北極星信仰


中外日報のページをご覧ください。

徳川家康の遺言 日光伝説

●妙見信仰によって選ばれた日光の地
そして1617年、故・家康は後水尾天皇から東照大権現(とうしょうだいごんげん)という神号を賜り、ついに神様として神格化されます。
「東照大権現」とは、伊勢神宮の「天照大神」に対して「東を照らす神」という意味で、祀る神社を東照宮と称しました。現在は全国各地に東照宮という名の付いた神社があります。

さて、お堂を建てたのは、なぜ江戸から遠い下野国(栃木県)の日光だったのでしょうか。

仏教の密教には、北極星(北辰=ほくしん)を崇める「妙見(みょうけん)信仰」あるいは「北辰妙見信仰」があります。北の空で常に動かない北極星をこの世の中心(天帝)とし、天帝が人を支配するという、古代中国の思想です。陰陽道にも影響を与えています。

日光は江戸の真北に位置し、江戸から望む空には北極星が輝いています。ここに神となった自らの霊を祀ることで、江戸と北極星を結ぶ神聖なライン(北辰の道)をつくろうとしたのです。

開運さんぽのページをご覧ください。